2012年11月29日
活動内容
七ヶ浜・若林区プログラム:農地・家庭農園の土おこし、その中から出てきたがれきの分別作業。
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感想 |
私は、今回初めて被災地を訪れました。今では、メディアから現地の状況があまり伝わってこない中、実際にその土地に行くことで、今現在の様子を自分の目で知るとても良い機会になったと思います。
震災から一年半経っていて、以前テレビで見ていた被災地の様子よりも随分きれいになっている印象を受けましたが、その一方でまだまだ人の手が必要な場所も多くあると改めて感じさせられました。
活動には、現地や他の地域からボランティアで来られた方もいらっしゃったので、そういった方とも話しをする機会が持てました。当時の様子や今に至るまでの復旧の様子を教えて頂くこともできたので、ただ活動するよりも得られたものは多かったと思います。
今回この活動に参加させてもらって、いろんな経験をすることができました。また、機会を作って現地のボランティア活動に参加したいと思いました。
活動内容
七ヶ浜・若林区プログラム:1日目 若林地区での農地支援(土おこし 雑草抜き) 2日目 若林地区(1日目とは別場所)での農地支援(土おこし)
感想
震災から1年半たった今でも畑にがれきが埋まっていたり手付かずの道路やガードレールがあるのをみてまだまだ僕らにもできることがあるのだと思った。そして被災者の方々が こうやって何もなくなったにもかかわらず今も前へすすもうとしているのを見て、少し複雑な気持ちになった。
活動内容
気仙沼プログラム:漁師さんのお手伝い、海辺のゴミ拾い。
感想
震災から1年半ほど経っていますが、まだまだ私たちにもできることがあるんだなーと感じました。募金活動は色々なところで行われているけれど、お金だけでは解決できない問題も沢山あるなあと思いました。
漁師さんや現地でボランティアをしている人と話してみて、とても前向きに取り組んでいたので、私もパワーを貰いました。
活動内容
気仙沼プログラム:わかめの栽培に使うロープ作りのお手伝い、浜の清掃(流木やゴミを分類しながら集めた)。
感想
わたしは、被災地に行くのは3回目でしたが、復興商店街のようなものをあちこちで見かけたり、ガレキ撤去が進んでいるのを見て、少しずつではあるが、“復興”に近づいていることを感じた。
しかし、同時に本当の復興までは、まだまだ気が遠くなるほどの「時間」と「労力」がかかるということも実感した。わたしは気仙沼に行ったが、漁師さんたちが「若い子たちが一生懸命手伝ってくれたから、もう一度、みんなで協力して頑張っていこうという気になれた」と話すのを聞いて、現地の人たちに、自分が協力したいと思っていることや、震災のことを決して忘れていないというメッセージを伝えていくことが本当に大切であるということを実感した。
活動内容
気仙沼プログラム:
蔵内之芽組にて
・のれんというわかめの栽培道具作成
・二十一浜の海岸清掃
感想
まだまだ復興までの道のりは遠いということ、そのためにも継続的な支援が欠かせないということを強く感じました。特に被害が大きい南三陸町、気仙沼を訪れたのですが、まだ瓦礫が片付いた状態で辺り一面何もないという現状を目の当たりにしました。行政の支援ももちろん必要ですが、今回のように生業を失った人への民間ベースでの支援が、ふたたび街を興すためには必要であると感じました。
まだ卒業までは時間があるので、3月頃にまた現地にいって微力ながらお手伝いさせていただきたいと思いました。
活動内容
気仙沼プログラム:
1日目朝は漁師さんのワカメの植え付けのお手伝い、昼は浜の清掃
2日目浜の清掃
感想
自分が今までテレビなどで見ていた景観を実際に見て、なぜか分からないけど涙がでそうになったし、街にはまだまだ瓦礫があって復興には時間がかかりそうだと思った。
でも、皆で浜の清掃をして綺麗になってボランティアの必要性を感じたし、もっと多くの人が被災地に目を向けるべきだと思った。気仙沼の人々は本当に親切で明るくてまた来たいと思った。
活動内容
宮城野区岡田プログラム:
一日目、津波復興支援センターより、綿花の収穫祭に参加させていただいた。地域の方々、ボランティアの方々、関係会社の方々が一年以上かけ取り組んでこられた綿花の最終過程の「収穫」に立ち会わせていただいた。女子プロレスにはじまり多数の催し物があり、その会場で様々な人との交流をもった。
活動後、津波復興支援センターの方のご厚意で、仙台市の危険区域の見学をした。
二日目、津波被害のでた畑での畑おこしをおこなった。
活動後、仮設住宅で生活する被災者さんの話を伺った。
感想
綿花収穫祭の時、住民やボランティアや企業が結束して復興へ向かう力強さを感じた。しかし、危険区域を訪れた際、結束以外の一面を垣間見た。それは、危険区域への企業誘致を図る行政、居住が認められていないにかかわらず故郷愛から住む住民、津波で家を流され土地のみがのこった住民の歪んだ残酷な関係だ。この関係には、悪者はおらず復興を願う思いが複雑に絡み合っているように感じ、衝撃を受けた。